今年の初詣は友人とお伊勢さんへ [伝統行事、風習]
思い返せば私が始めてホームページなるものを作ったのは十数年前のお伊勢さんまいりの旅行記だった。
パソコンのことはまだ殆ど知らない時期で見よう見まねで苦心したことを覚えている。
大神宮さん、お伊勢さんなどと親しく呼ばれていますが『神宮』というのが正式名称です。
お伊勢さんは天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする豊受大神宮(外宮)を御正宮(ごしょうぐう)として、十四の別宮(べつぐう)と百九の摂社、末社、所管社、あわせて百二十五の宮社から成り立っている。
別宮は御正社とかかわりの深い神を祭るお宮で、二十年ごとに行われる式年遷宮も御正宮に続いて行われる。
今回の神宮参拝は妻と来る予定で申し込んであったが、急遽孫を一人預かることになり、妻が行けなくなったため、友人を誘っての参拝となった。
車で来て駐車場を探すより、バスツアーが便利だし今回もツアーを申し込んでの参加。
出発した白山市徳光バス停は雪だったが、伊勢に近づくにつれだんだん天気がよくなり、伊勢は風は少々あるものの晴天で、コート無しで歩けそう。
神宮は20年に一度式年遷宮で、正宮、別宮、宇治橋、神宝などがすべて新調
される。
昨年架け替えられた『宇治橋』
次回の式年遷宮は平成25年だがそれに先立ち宇治橋が架け替えられ昨年
渡り初め が行われた。
五十鈴川に架かる宇治橋が俗界と聖域の境であり、渡ると神域が現われる。
宇治橋両端の大鳥居は前回の式年遷宮の折、内宮、外宮正殿の棟持柱とし
て使用されていた檜材の再利用であり、再々利用先も決定しているそうだ。
宇治橋から望む五十鈴川
一の鳥居手前の橋は防火のための溝川に架けられているので
火除け橋と呼ばれている。
一の鳥居 神宮の玄関口であり鳥居には紙垂(しで)のついた榊
が付けられており、神道では聖なる木である榊を飾ることで聖域を
示している。
五十鈴川御手洗場(みたらし) 五十鈴川は御裳濯(みもすそ)川とも
呼ばれている。
この場所で手を洗い、心身を清めて神域へと進んでいく。
二の鳥居 素木(しらき)造りの神明鳥居
皇族方もここで降車されお祓いをお受けになって御正宮まで歩かれ
るという。
ここまで来ると開けた様子が一変し、鬱蒼とした森の中の様相。
風日折宮橋(かざひのみのみやはし)
五十鈴川支流に架かる風日祈宮橋を渡ると森の中に『風日祈宮』
(かざひのみのみや)が現われる。
内宮の別宮10社のうちの一つで風の神を祀る別宮です。
鎌倉時代の元寇(げんこう)のとき、神風(かみかぜ)を吹かせて日
本を守った神様を祀ってある。
一の鳥居を過ぎたあたりから御正宮へ向かう行列が出来始め、そ
の人数がトンドン増えてくる。
明治神宮ほか全国10 社の正月三か日の参拝者は250~350万
人といわれているがここ神宮は6~80万人程度らしい。
お伊勢に行きたい、お伊勢が見たい せめて一生に一度でも
と謡われ 日本で最も神域であり 、何世代にもわたって日本人の
心の故郷として親しまれてきた神宮。
神域は静々しさ、重厚さも格別なものがあるようです。
御正宮に向かう階段下の人ごみ
行列に並び始めてから参拝までなんと二時間弱もかかった。
建物は祭祀の際にお供えするあわびを調理する儀式が行われる
『御贄調舎』(みにえちょうしゃ)
御正宮前の人ごみ
なぜか御正宮は正面からの写真撮影は禁止とか。
本来ならここからの撮影も『撮影はご遠慮ください』らしいが。
内閣総理大臣の参拝模様はばっちりと撮影され、新聞、テレビで
報道されるのに一般人はなぜだめなのだろう。
式年遷宮に何がしかの寄付をすると(式年遷宮奉賛金というらしい)
一般人は入ることの出来ない場所での参拝が出来るそうだ。
ちなみに1000円から50 万円以下の場合の特別参拝位置は外玉垣
南御門内という(手前から二番目の簾垣内)場所での参拝が許された
り、特別参拝できる期間が違うそうである。
本来神様の前ではなにびとも平等であるはずが、身分やお金によっ
てその扱いが変わるのはおかしいのではないでしょうか。
ちなみに写真撮影はしたもののとりあえずは載せないこととする。
が ここのブログには写真が載っているが。
勿論この蕃塀(門?)内には一般人は入ることが出来ない。
入れる、入れないはお金次第ということか。
そういえばこんな言葉もあったっけ。
『地獄の沙汰も金次第』
第11代 垂仁天皇の26年(約2000年前)に、この伊勢に鎮座された。
最奥に幾重にもの垣に囲まれた正宮、隣接して古殿地(次回遷宮の
ための空地)、北に荒祭宮、南に風日折宮など多くの社殿が鎮まって
いる。
御正宮の社殿は 『唯一神明造』 と呼ばれる総檜造りで、地面に丸柱
をそのまま立てる掘っ立て式で萱葺き屋根の高床建築です。
神宮では、原則として20年ごとに、内宮、外宮の二つの正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。
このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられる。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。
2005年(平成17年)から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、2013年(平成25年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
莫大なお金をかけての式年遷宮の必要性はどうなんだろうか。
式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立式の建物で正殿等が造られているためである。
塗装していない白木を地面に突立てた掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。
当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため不明である。
推測される主な理由としては、次の点が考えられる。
- 建物の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度であるため。これは、耐用年数という意味ではなく、神道の宗教的な意味における「清浄さ」である。
- 建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
- 旧暦の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至にあたること)が、19から20年に一度の周期(メトン周期)であるため。
- 一世代がおよそ20年であるため。
- 神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。
などの理由が推測されているが定かではない。
次回式年遷宮で新正宮が建設される敷地(古殿地)
別宮 『荒祭宮』に向かう参道
外幣殿(げへいでん)
古神宝が納められている。
御稲御倉(みしねのみくら)
この御倉に神宮神田から収穫した抜穂の御稲が納められ、由貴の
お祭りのとき、御稲を奉下して、大御饌が調進される。
鼓ケ岳を借景とする神宮神苑
参拝が終わりおはらい町へ。
おはらい町 おかげ横丁あたりはすごい人並み。
ここは江戸時代初期から門前町として発達し田町で、電線も地中化
されてすっきりとしているが何せすごい人並み。
お伊勢さんのおかげで商売できますという感謝の気持ちから 『おか
げ横丁』と命名されたという。
ここでゆっくり飲んで食事をする予定だったが 、どの店も長い行列
と集合時間もあることだし断念して 、酒と食べ物を買ってバスに乗
ることに変更。
伊勢神宮を離れバスは一路 『夫婦岩』へ
夫婦岩
伊勢市二見町の二見輿玉神社にある夫婦岩は、日の出の遥拝
場所として知られている。
夏至の頃を中心に夫婦岩の間から日の出が見える。
定かではないが夫婦岩の間に遠く富士山が見え、その頂上から
朝日が昇る写真があるが合成か?
年の初めに日本人の心の故郷とも言える伊勢神宮を参拝して
今年はキッといいことがあるのではないか。
日本人は生まれてまもなくのお宮参りから始り七五三、初詣、受
験時の神頼みで神社のお世話になり 、クリスマスにはキリストさ
んに感謝?し、葬式ではお寺のお世話になる。
これが平均的な日本人の宗教観です。







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