ご近所さん、仲間たちとの牡蠣BBQ [仲間]
今年の正月も能登中島の牡蠣屋さんから年賀状が届いた。
穴水町で開催されている 『穴水ジャンボ牡蠣祭り』 に行った際、どうせなら能登珪素土切り込みこんろを買って、能登牡蠣を取り寄せて自宅で牡蠣BBQをしようと思い立ち、途中1~2回の中断はあったもののもう10年以上続いている。
私が牡蠣の宅配でお取り寄せをしているのが七尾市中島町の山口水産さんである。
能登半島の中央部にある七尾湾は、能登島を三方から挟むように、北湾(地元では穴水湾といわれている)、西湾、南湾と分かれています。
「能登かき」は、特にその西湾で養殖されています。
西湾は北湾と南湾につながり、外洋に直接面しないところなので、湖のようにほとんど波もなく穏やかなところで、複数の河川から栄養分が流れ込み、とても牡蠣の養殖に適しているところです。
七尾湾はプランクトンが豊富で僅か一年で出荷可能となり、2~3年物に比べると小粒ではあるが肉厚で味も風味も豊かで甘みの多い大変美味しい牡蠣です。
自宅のベランダはバーベキューをするのには絶好の造りで今までに数え切れないくらいバーベキューをした場所です。
今回はご近所さんやら昔からの仲間、片町のお姉さんたち総勢10人くらいで始めたがだんだん増えてきて終わり頃には15人以上になってしまった。
正午から始めて美味しいお酒、美味しい牡蠣をたらふく食べ、大変楽しいBBQとなり、お開きはなんと午後9時過ぎとなった。
海のミルクともいわれ、栄養たっぷりの牡蠣。
小売されている牡蠣には、生食用と加熱調理用の2種類があるが 、加工方法の
違いだけで鮮度の差ではない。
生食用の牡蠣は、滅菌された水の中でしばらく過ごし、プランクトンから体内に蓄
積された細菌を除去したもの。
一方加熱用の牡蠣は、殻を剥いただけのもの。当然味が濃くて新鮮なのは加熱
調理用ということになる。
新鮮だからといって加熱用を生食しないこと。
牡蠣の毒は危険。
さらに注意したいのは、近年話題のノロウイルス。
これは殺菌しても死なないため、生食用でも当たることがある。牡蠣で起こる中毒
の多くがノロウイルスが原因であることがわかってきた。
生食するときは食べ過ぎないよう注意することが大事。
能登牡蠣も一昨年ノロウイルスのため出荷出来ない時期があったが最近では石
川県予防医学協会により 食品衛生法で定める検査を定期的に実施されている。
今回購入した殻付牡蠣は一斗缶一つ分
大小あわせて約100個くらい入っている
この牡蠣は焼き牡蠣用に使う
炭火コンロで焼かれる牡蠣
牡蠣貝の平たいほうを上にして焼き、蓋が少しあいた位が食べごろ
焼きすぎると牡蠣汁がなくなり干からびた焼き牡蠣になってしまう
美味しそうに焼けた牡蠣
今回も焼く係りは例年通り旧友の安田氏
友人が持ってきてくれた刺身には生山葵
鮫皮のわさびおろしですりおろし、先日買った『薬味寄せ』の竹の刷毛
の早速の出番
お酒類はビール、ワイン赤白、大吟醸酒宗玄、久保田他
焼酎4~5種類などなど よく飲みました
写真のお酒類はほんの一部です
カキフライ
牡蠣フライ、牡蠣飯用のむき牡蠣2キログラム 約150個くらいか
牡蠣飯
お土産にお持ち帰りのおにぎりを作ったら殆ど残らなかった
恒例の 『めった汁』
参加された人達
用意したものは殆ど皆さんのおなかに納まり残りは僅か
宴の後に残ったのは酒の空瓶、空缶、牡蠣の殻、部屋に充満する
お酒の匂いでした。
今回も大変楽しい牡蠣BBQでした
参加された皆様ご苦労様でした。
41回目の結婚記念日 [グルメ]
ここ何年か結婚記念日には片町 『割烹勝一』 で食事をすることにしていたが、今年は息子たちが祝ってくれるということで例年とは違うところでの食事となった。
昨年は40回目の節目でもあり、サプライズで金沢市内夜間のヘリ遊覧をしたが、今回は特に変った趣向もなく、個室でゆっくり食事が出来るという 『梅の花』 へ
梅の花は湯葉と豆腐創作料理を組み合わせた和懐石中心のお店で、私たち年寄りにも優しい料理を食べさせていただけるお店です。
駐車場も広く、入り口までのアプローチも風情があっていい感じでゆっくり出来そう。
店内はテーブル席、カウンター席、足を下ろせる炬燵様の個室もあり、ゆったりとしたレイアウトがなかなかいい感じでした。
駐車場から続くアプローチ
正面入り口の行灯

今日のお品書き 梅の花膳 『極』
料理の敷紙
前菜3種
季節のおひたし 小鉢は湯葉煮
『嶺岡豆腐の柚子味噌かけ』
(みねおか豆腐は生クリーム、牛乳を葛で固めたもの)
茶碗蒸し
季節のお造り
『地物鰤の焼き霜造り』
特製蟹しゅうまい
陶器製の丸蒸籠様器で一客分(一個)ずつ蒸してある
おしのぎ 『蓮根饅頭 餡かけ』
引き上げ湯葉
引き上げ湯葉は濃厚な豆乳の風味がしっかりした美味しい湯葉です
湯葉におろした生姜 、 おろした柚子皮、出汁醤油をかけていただき
ます
小さなおろし金で柚子皮をおろす
竹製の小さな刷毛(薬味よせというらしい)で集めて湯葉にかける
我が家で鮫皮で山葵をおろす際 、擂った山葵を集めるのに苦労
していたがいいものを見つけた
早速買わなくては!!
生麩田楽
湯葉揚げ
こんなところでも恵方寿司の予約が
帆立グラタン フォグラ添え
飲み物メニュー
本日私が飲んだのは『梅の花』オリジナルの清酒です
飯物
蒸し蟹おこわ 香の物三種
湯葉のお吸い物
デザート メニュー
デザートは四種類からチョイスできます
あずき豆腐
豆乳アイス 黒蜜、黄な粉かけ
結婚生活も40年を超えるとお互いの存在は空気の様なもの
時にはいることも忘れ、かといっていないと不便を感じる
永年夫婦をしてきて・・・・
あと何年続くのか わかりませんが元気でいるうちはせめて
結婚記念日くらいはゆっくりと
今回はおかげ様で思い出に残る結婚記念日になりました
梅の花からの記念品
有田焼の夫婦茶碗と夫婦湯呑
帰ってから早速購入した『薬味寄せ』と以前からの鮫皮おろし金
自宅で山葵をおろしても最後まできれいにとる事ができそう
過去3回の結婚記念日
40回目(昨年)
39回目
38回目
正月過ぎ恒例の加賀野地区 『左義長』 [伝統行事、風習]
私の住んでいるのは白山市(松任市)の元新興住宅地。
新興住宅地というのは従来の集落に対する新しい住宅地ということだが、出来てからもう30数年経っているので 『元』 を付けるのが適切ではないかと思っている。
住宅としては800軒程度の中規模の住宅地であるが、地区の氏神様とも言うものが存在しない。
従来の集落の一部が3地区集まって現在の私たちの集落を形成しているため、住宅地が出来た当初は旧集落の氏神様からもろもろの案内は来ていたが、そのうちそれもなくなり現在は氏神様とのかかわりは全くないのに等しいのが現状。
住宅新築時の 『地鎮祭』 には建設会社がどこからか神主さんを調達してくるようだが、今の若者はその地鎮祭もしないことが多く、神社とのかかわりも殆どない。
通常 『左義長』 は氏神様の神社で行われることが多いが、わが地区では子ども会が中心になり、各種団体の役員が協力して公民館横の民地の田圃をお借りして行っている。
青竹はある役員の個人的なお願いで、8号線近くの神社境内周囲
に生えているものをいただいてくる。
田圃の中でするため周囲にコンパネを敷き、火床はコンクリートブ
ロックを台にして鉄筋メッシュ網を並べその上に正月お飾り等を積
積み上げて着火する。
雨が少々降ってはいるがよく燃える。
子供たちの中には習字を燃やす子もいる。
昔から、習字を燃やしてその燃えカスが高く上がると字がうまく
なるといわれているが。
手に持っているのは点火に使った 『松明』
子供たちが点火する。
火の回りが暖かいため子供たちが集まってくる。
参加者にはボランティアグループの女性群が作っためった汁が
振舞われる。
めった汁とは俗に言う豚汁のことである。
NHKのアンケートによると、トン汁と呼ぶのは54%で東日本
ブタ汁と呼ぶのは46%で西日本、北海道が多いそうである。
『めった汁』 は方言でその語源は定かではないらしいが、北陸
特に石川県ではめった汁と呼ばれることが多い。
いずれにしても寒い日にはありがたいご馳走であり 、外で皆と
食べるめった汁はまた格別の味がする。
皆立って戴いている。
子供たちの持っている 『針金』 の先にはアルミ箔に包んだ、蒸し
たさつま芋が結んである。
左義長の残り火の中で暖め(焼く)て食す。
殆ど燃え尽きている
田圃を借りての左義長のため、灰に金属が残っていてはいけな
いので灰の中を磁石で探って金属類を回収する。
事前に燃えないもの(みかん、橙類)、金属、プラスチック類は取
除いているつもりだが結構の量の金属類が見つかる。
今年も一年の無病息災を願って実施した左義長も無事終了した。
今年の初詣は友人とお伊勢さんへ [伝統行事、風習]
思い返せば私が始めてホームページなるものを作ったのは十数年前のお伊勢さんまいりの旅行記だった。
パソコンのことはまだ殆ど知らない時期で見よう見まねで苦心したことを覚えている。
大神宮さん、お伊勢さんなどと親しく呼ばれていますが『神宮』というのが正式名称です。
お伊勢さんは天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする豊受大神宮(外宮)を御正宮(ごしょうぐう)として、十四の別宮(べつぐう)と百九の摂社、末社、所管社、あわせて百二十五の宮社から成り立っている。
別宮は御正社とかかわりの深い神を祭るお宮で、二十年ごとに行われる式年遷宮も御正宮に続いて行われる。
今回の神宮参拝は妻と来る予定で申し込んであったが、急遽孫を一人預かることになり、妻が行けなくなったため、友人を誘っての参拝となった。
車で来て駐車場を探すより、バスツアーが便利だし今回もツアーを申し込んでの参加。
出発した白山市徳光バス停は雪だったが、伊勢に近づくにつれだんだん天気がよくなり、伊勢は風は少々あるものの晴天で、コート無しで歩けそう。
神宮は20年に一度式年遷宮で、正宮、別宮、宇治橋、神宝などがすべて新調
される。
昨年架け替えられた『宇治橋』
次回の式年遷宮は平成25年だがそれに先立ち宇治橋が架け替えられ昨年
渡り初め が行われた。
五十鈴川に架かる宇治橋が俗界と聖域の境であり、渡ると神域が現われる。
宇治橋両端の大鳥居は前回の式年遷宮の折、内宮、外宮正殿の棟持柱とし
て使用されていた檜材の再利用であり、再々利用先も決定しているそうだ。
宇治橋から望む五十鈴川
一の鳥居手前の橋は防火のための溝川に架けられているので
火除け橋と呼ばれている。
一の鳥居 神宮の玄関口であり鳥居には紙垂(しで)のついた榊
が付けられており、神道では聖なる木である榊を飾ることで聖域を
示している。
五十鈴川御手洗場(みたらし) 五十鈴川は御裳濯(みもすそ)川とも
呼ばれている。
この場所で手を洗い、心身を清めて神域へと進んでいく。
二の鳥居 素木(しらき)造りの神明鳥居
皇族方もここで降車されお祓いをお受けになって御正宮まで歩かれ
るという。
ここまで来ると開けた様子が一変し、鬱蒼とした森の中の様相。
風日折宮橋(かざひのみのみやはし)
五十鈴川支流に架かる風日祈宮橋を渡ると森の中に『風日祈宮』
(かざひのみのみや)が現われる。
内宮の別宮10社のうちの一つで風の神を祀る別宮です。
鎌倉時代の元寇(げんこう)のとき、神風(かみかぜ)を吹かせて日
本を守った神様を祀ってある。
一の鳥居を過ぎたあたりから御正宮へ向かう行列が出来始め、そ
の人数がトンドン増えてくる。
明治神宮ほか全国10 社の正月三か日の参拝者は250~350万
人といわれているがここ神宮は6~80万人程度らしい。
お伊勢に行きたい、お伊勢が見たい せめて一生に一度でも
と謡われ 日本で最も神域であり 、何世代にもわたって日本人の
心の故郷として親しまれてきた神宮。
神域は静々しさ、重厚さも格別なものがあるようです。
御正宮に向かう階段下の人ごみ
行列に並び始めてから参拝までなんと二時間弱もかかった。
建物は祭祀の際にお供えするあわびを調理する儀式が行われる
『御贄調舎』(みにえちょうしゃ)
御正宮前の人ごみ
なぜか御正宮は正面からの写真撮影は禁止とか。
本来ならここからの撮影も『撮影はご遠慮ください』らしいが。
内閣総理大臣の参拝模様はばっちりと撮影され、新聞、テレビで
報道されるのに一般人はなぜだめなのだろう。
式年遷宮に何がしかの寄付をすると(式年遷宮奉賛金というらしい)
一般人は入ることの出来ない場所での参拝が出来るそうだ。
ちなみに1000円から50 万円以下の場合の特別参拝位置は外玉垣
南御門内という(手前から二番目の簾垣内)場所での参拝が許された
り、特別参拝できる期間が違うそうである。
本来神様の前ではなにびとも平等であるはずが、身分やお金によっ
てその扱いが変わるのはおかしいのではないでしょうか。
ちなみに写真撮影はしたもののとりあえずは載せないこととする。
が ここのブログには写真が載っているが。
勿論この蕃塀(門?)内には一般人は入ることが出来ない。
入れる、入れないはお金次第ということか。
そういえばこんな言葉もあったっけ。
『地獄の沙汰も金次第』
第11代 垂仁天皇の26年(約2000年前)に、この伊勢に鎮座された。
最奥に幾重にもの垣に囲まれた正宮、隣接して古殿地(次回遷宮の
ための空地)、北に荒祭宮、南に風日折宮など多くの社殿が鎮まって
いる。
御正宮の社殿は 『唯一神明造』 と呼ばれる総檜造りで、地面に丸柱
をそのまま立てる掘っ立て式で萱葺き屋根の高床建築です。
神宮では、原則として20年ごとに、内宮、外宮の二つの正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。
このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられる。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。
2005年(平成17年)から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、2013年(平成25年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
莫大なお金をかけての式年遷宮の必要性はどうなんだろうか。
式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立式の建物で正殿等が造られているためである。
塗装していない白木を地面に突立てた掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。
当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため不明である。
推測される主な理由としては、次の点が考えられる。
- 建物の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度であるため。これは、耐用年数という意味ではなく、神道の宗教的な意味における「清浄さ」である。
- 建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
- 旧暦の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至にあたること)が、19から20年に一度の周期(メトン周期)であるため。
- 一世代がおよそ20年であるため。
- 神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。
などの理由が推測されているが定かではない。
次回式年遷宮で新正宮が建設される敷地(古殿地)
別宮 『荒祭宮』に向かう参道
外幣殿(げへいでん)
古神宝が納められている。
御稲御倉(みしねのみくら)
この御倉に神宮神田から収穫した抜穂の御稲が納められ、由貴の
お祭りのとき、御稲を奉下して、大御饌が調進される。
鼓ケ岳を借景とする神宮神苑
参拝が終わりおはらい町へ。
おはらい町 おかげ横丁あたりはすごい人並み。
ここは江戸時代初期から門前町として発達し田町で、電線も地中化
されてすっきりとしているが何せすごい人並み。
お伊勢さんのおかげで商売できますという感謝の気持ちから 『おか
げ横丁』と命名されたという。
ここでゆっくり飲んで食事をする予定だったが 、どの店も長い行列
と集合時間もあることだし断念して 、酒と食べ物を買ってバスに乗
ることに変更。
伊勢神宮を離れバスは一路 『夫婦岩』へ
夫婦岩
伊勢市二見町の二見輿玉神社にある夫婦岩は、日の出の遥拝
場所として知られている。
夏至の頃を中心に夫婦岩の間から日の出が見える。
定かではないが夫婦岩の間に遠く富士山が見え、その頂上から
朝日が昇る写真があるが合成か?
年の初めに日本人の心の故郷とも言える伊勢神宮を参拝して
今年はキッといいことがあるのではないか。
日本人は生まれてまもなくのお宮参りから始り七五三、初詣、受
験時の神頼みで神社のお世話になり 、クリスマスにはキリストさ
んに感謝?し、葬式ではお寺のお世話になる。
これが平均的な日本人の宗教観です。
次男夫婦の次男初誕生祝 [伝統行事、風習]
白山市在住の次男夫婦の次男が初誕生を迎えた。
次々とインフルエンザに罹り、本来の初誕生日からはだいぶ遅れてしまったが一生に一度のことでもあり初誕生祝をすることにした。
三人目の初誕生祝だが、彼の姉、兄のときと同様の祝いをすることに。
初誕生祝とは、赤ちゃんが生まれてはじめて迎える1歳の誕生日を無事に迎えたことを感謝し、健やかな成長を願って行われるものです。
この日のために誕生餅をつき、縁起をかついでそれを「力餅」と呼び、また地域によっては一升瓶を風呂敷に包んでそれらを子どもに背負わせ、あまりの重さに子どもが泣くと、泣けば泣くほど元気な子どもになるとして祝い、「立ったら餅」や「ぶっころがし餅」などとも呼ばれた。このように初誕生の祝いに餅や一升瓶を背負わせるのは、早く一人歩きができるようにとの願いが込められているといわれている。その一方で、初誕生日前にあまり早く歩き出すのを嫌う風潮があったとも言われている。更に、あまり遠くまで歩くと成人してから親元を離れるとの迷信から、わざと子どもを倒すこともあったといわれる。地方によっては餅を踏ませていたため、「餅踏み」とも呼ばれた。
歩き始めたのも一番早く誕生から8ヶ月目後半には既に歩き始めていたせいか、三人の中では一番身体が小さいが2㎏もある重い餅を背負って3人の中では一番遠くまで歩いた。
まもなく重い餅をかつがされるとも知らずお姉ちゃんと手をつないで
ご機嫌です。
約2kgの『誕生餅』
風呂敷に包んで
たすきかけにかつぎます
ニコニコとして割と平気な顔をしています
上の二人の兄、姉はすぐに泣きそうになりましたが
10歩くらい歩いてお母さんの所へ
相当重いのかやはり泣きそうになりました
恒例の『誕生占い』
品物を並べて、最初に取った物で将来の職業等を占うそうですが
最初に取ったのは『財布』でした
財布を取る子は将来お金持ちにおなるそうですが楽しみです
ちなみに今回は電卓とペンを並べましたが 、結局財布ほかすべ
てをとってしまいました
1歳の誕生日祝いのケーキ
生まれて初めてケーキを口にしましたが反応はいまいち
二番目の子(長男)は大喜びでしたが今は・・・・・・?
三人ともスポンジケーキはあまり好みではないようです
何でも姉、兄と同じまねをします
兄が逆立ちをすると自分も同じように逆立ちをしようとします
何とか無事に『初誕生祝』が終わりました
健やかに育ってくれることを祈るばかりです
09 神戸ルミナリエ [日帰り旅行]
神戸ルミナリエは、阪神淡路大震災で亡くなられた方々への鎮魂と、神戸市の復興と再生を不死鳥になぞらえ、大震災の年の1995年(平成7年)12月に初めて開催されました。
1995年に開催された第1回目のルミナリエは阪神淡路大震災から1年も過ぎていない時に開催されました。
当時、神戸市は大震災の無惨な傷跡が市内の各所に残っており、復興もままならない状況での開催でしたが、ルミナリエの暖かい光は被災地・神戸の街の混沌とした空気の中で神戸っ子たちに勇気と感動と夢と希望の光を見せてくれました。
今では市の当時の無残な様子は跡形もなく、立派に復興がなされている。
どこかの国とは大違いで日本人の知恵と努力には驚かされる。
神戸ルミナリエは阪神淡路大震災以来クリスマスの時期に毎年開催されるようになり、神戸の冬の風物詩・クリスマスイベントとして定着しました。ルミナリエの名称は全国にも知られるようになり、全国各地からの多くの観光客も訪れるようになりました。
ルミナリエ開催に先立ち、身障者やお年寄りの方たちを招待するルミナリエ・ハートフルデーでの点灯式と記念式典、また、ルミナリエ開催当日の点灯式と記念式典では犠牲者への追悼が行われています。
ルミナリエの語源はイタリア語で電飾を意味する言葉です。Illuminazione Per Feste(祝祭のためのイルミネーション)
ルミナリエ作品はヨーロッパバロック時代(16世紀後半、ルネッサンス末期)に盛んに創られた祭礼、装飾芸術のひとつとして誕生した光の魅力を駆使した建築物を起源としています。
神戸ルミナリエはイタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と神戸市在住の作品プロデューサー、今岡寛和氏による光の彫刻作品です。
今年は15回を数え毎年テーマは変るが今回のテーマは 『光の抱擁』
昨年と比べると、約20万個使用されている電飾の輝きが華やかになっているそうです。
毎年400万人を超える人でにぎわいますが、世の中の不況によりスポンサーが減ったり企業の協賛金が減少し、ルミナリエの存続があやぶまれるため、ルミナリエの観光客からも一人100円の募金が行われるようになった。
数年前に一度来たがそろそろ無くなってしまうと言うことも聞くため、再度来ることに。
今回もバス会社主催のツアーでの参加。
個人で車や電車で来るよりも楽だし、なんといっても参加費が安い。
高速バスの大阪往復が7000円くらいだがこのツアーは添乗員もついて3千数百円で参加できる。
朝8時55分に高速徳光PAから出発、いつもは吹田あたりから渋滞が始まるが今回は名神、中国道、阪神高速とも全く渋滞にかからず約4時間で指定駐車場の神戸新港第一突堤に到着。
前に来たときは日曜日でもありバスの数も非常に多かったが今回は平日ということでバスの数も極端に少ない。
前回は乗車するバスを探すのが大変だったが、今回は帰るときのバスを探す手間が省けそう。
神戸はグルメ、観光と色々ある国際観光都市といわれるが、今回はあまり欲張らずルミナリエを主目的に、中華街での昼食後、メリケン波止場での大震災時の被災現状保存を見、ポートライナーで
超赤字の神戸空港、先日の政府事業仕分けで経費縮減判定の出た『スーパーコンピューター』を格納するための建物を見たいと思っている。
神戸一の繁華街 元町商店街
中華街入り口 長安門
この通りがメインで南京東路、南京西路からなっていて、各街路
にはすべて名称がつけられている。
日本三大中華街(神戸、横浜、長崎)の一つで正式には
『神戸南京町商店街』 といい、通称神戸中華街と呼ばれている。
東西200m、南北100mの範囲に約100の店舗が並ぶチャイナタウン
南京東路
今回昼食をとる『楽園酒家』
NETで検索したところ、相当評判が高く今回の昼食場所に。
昼はランチのみのメニューだが『中華粥』の評判がよい。
私が注文した『パラダイスランチ』
店名の楽園を『パラダイス』と呼んだランチか。
NETでもずいぶん書き込みの多い評判のランチ。
ワンプレートにしょうゆ煮卵、エビマヨネーズ、甘酢団子、甘たれチャーシュー
ざーサイ、生野菜添え。
それにご飯、スープ、または中華粥を選べます。
妻がおかゆ定食を選んだので私は白ご飯にした。
中華粥は塩だけの味ではなく魚系のだしと塩を使い、大釜で4時間以上も
煮込んだとろとろの美味しいお粥です。
妻の選んだ『おかゆ定食』
生野菜、春巻き、焼売、叉焼、中華粥のセット
いずれも大変おいしいランチメニューでした。
ある書き込みでは神戸中華街で一番の味とか。
屋台風の店で店頭で販売するだけのお店やら中で食べることの出来
るお店などもある。
南京町広場の『東屋』 夜はライトアップされて大変きれい
(あずまや)
中華街には行列の出来る店も多い。
この行列は『曹家包子館』
豚まんの名称発祥の店として有名な『老祥記』プロデュースの店で
姉妹店でもあり、老祥記の豚まんも売っている。
曹家包子館の包子(豚まん)は本家老祥記の包子をベースに中国
乾燥椎茸を使った新しい包子で 『椎茸豚包子』 の名で販売されて
いて一個90円で3個から販売している。
少々小さめで一口で食べることが出来るくらいの大きさ。
『香港点心菜館』 ここも長い行列の出来る店。
ラーメン屋台風で点心の名の通り小さ目のものが多い。
南京西路端にある『西安門』
神戸には『旧居留地』と呼ばれている場所がある。
1868(明治元年)から1899(明治32年)に返還されるまで外国人に126
区画が分譲されていた治外法権の場所だった。
そこに英国人技師J.W.ハートが居留地の設計を行い 、整然とした町並
みを作り上げた。
この地域には明治時代 ~ 昭和初期の西洋館と近代建築とが混在する
地区であり、もっとも神戸らしい洗練された町並みとして 1992年に国土
交通省の都市景観100選に選定、2007年には旧居留地連絡協議会が
日本都市計画学会の最高賞である『石川賞』を受賞している。
居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったがそれが 『北野異
人館街』であり、当時条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってき
た華僑は 、居留地にすむことが出来ず 、その西側に多く住み着き南京
町といった中華街を築いて現在に至っている。
神戸郵船ビル
初代米国領事館跡地に、大正7年旧日本郵船神戸支店として建築
された近代ビル。
建築当時は銅版葺きの屋根と円形ドームを戴いていたが1945年の
神戸空襲で内部は焼失した。
1994年(阪神淡路大震災前年)に大規模耐震補強工事が行われて
おり震災時には軽微な被災で乗り来ることができたラッキーなビル。
神戸市立博物館
1935年に竣工した新古典主義様式のビルで 、横浜正金銀行神戸
支店、戦後は改変された東京銀行神戸支店として使用されていたが
同行の移転に伴ない神戸市が購入、博物館に転用された。
国指定有形文化財の登録がされている。
神港ビルヂング (ビルディングではなくビルヂングです)
1939年に川崎汽船本社として竣工。
近代建築と現代建築の境界に位置する様式で、装飾がなされたガ
ラス張りの塔がある、旧居留地を代表するビル。
阪神、淡路大震災からはや15年。
阪神方面に来るたび思い出すが、あの当時の爪あとは見当たらない。
日本人の英知と努力には敬意を表するばかりである。
あの日テレビで見た惨状はどこに行ったのだろう。
ここ、神戸新港には当時の岸壁の被災状況をそのまま保存してある神戸港
震災メモリアルパークがある。
当時の岸壁被災時のまま保存されている。
今では跡形もなく復旧されている。
メモリアルパーク内にある被災状況の展示写真


被災直後の阪神高速神戸3号線の様子(2枚とも借り物)
今では被災の跡も見当たらないくらい復旧されている。
もと土木技術者としてはこれは見逃がすことは出来ないものがあった。
土木学会選定土木遺産
神戸旧居留地に敷設されていた
レンガを組み合わせた楕円形の下水管(下水渠)
一昔前まではコンクリートの製のヒューム管
現在は殆どが塩ビ管が使用されている。
現在の職人がレンガを組み合わせた下水渠を作るのは至難の技
だと思います。
観光都市神戸の港には多くの豪華客船が入港する。
豪華客船の入港予定までも公表されている。
今日も震災メモリアルパークを見ている最中に『飛鳥Ⅱ』が入港してきた。
入港予定ではワンナイトクルーズからの機構のようだ。
飛鳥Ⅱは金沢港にも入港して来た際に見に行ったことがあるが
一度乗船して旅をしたいものだ。
神戸交通振興㈱(神戸市の第三セクター)運営の
シティループ(バス)
神戸市内を循環しているが今回は歩くことにする。
ポートライナーの駅に向かって歩いているとなんともおかしな標識を発見
画面左側電柱に掲示してある案内板に注目
国道174号線 日本で一番短い国道 187.4mとあります。
手前横断歩道から奥ピンクの高速道路下までが国道174号です。
お次は初乗車の新交通システム『ポートライナー』で神戸空港へ。
1981年(昭和56年)日本初の実用新交通システムとして営業運転が始まった。
神戸のシステムはAGT (Automated Guideway Transit) といい案内軌条
式鉄道の一種で、専用軌道をゴムタイヤを使って走行する中量輸送機関である。
路線の側方の案内軌条に併設された給電線より給電しモーターで走行する。架
線がないため沿線の美観を損ねにくく 、ゴムタイヤを使用するため沿線への騒
音や振動も少ない 。またゴムタイヤの摩擦力の大きさを活かした急勾配路線も
可能となるため、過密な都市内や幹線道路上に高架橋などを設け建設すること
も可能である。
鉄レールを用いず小型車両を用いることで軌道・車両を含めた総合的な軽量化
が可能なことから 、 長大橋梁がルート上に存在する路線では採用例が多くなっ
ている。
一般的には各駅ホームの線路側にも囲いと扉が設けられ 、ホームと車両の人
の出入りをセンサーで感知することによって無人の全自動運転が行われている
事例が多い。
モノレールとの大きな違いは 、緊急時に乗客が走行路線へ出ることができる点
にある。
車両は車体に1つないしは2つのドアを持つ小型車両で、ゴムタイヤによる走行
音の小ささや建設費の安さだけでなく、何よりその近未来的なイメージが大都市
近郊の自治体などに注目された 。一般の鉄道よりも手軽な公共交通機関として
、郊外や港湾地域に造成されたニュータウンやオフィス街などの通勤・通学の足
として建設が進んだ。
東京大学生産技術研究所による建設費の比較では、新交通システムは約100
億円/Km、モノレールは約120億円/Km、ミニ地下鉄は約220億円/km。
小型の車両で6両編成
運転手、車掌等の乗務員は乗っていない。
列車はガイドウェイ上をゴムタイヤで走行する。
横のガイドウェイ から給電しているため上空の架線はなく、すっきり
している。
神戸大橋
神戸陸上部と神戸港沖の人工島を結ぶ橋
人工島ポートアイランドと人工空港島を結ぶ
神戸空港連絡橋(通称 神戸スカイブリッジ)
独立行政法人理化学研究所 理事長 野依良治
事業費の殆どを国からの補助金(年間1100億円超)での運営
理事長の年間報酬約2000万円 理事約1000万円
ポートアイランドの中に先日の政府事業仕分けで蓮舫議員と渡り合った事業
の、スパコン格納建物が建設されている。
この独法には色々問題がありそうな予感がする。
世界一最速のスパコン開発の予算 18年~24年で1200億円
①設置場所が埋立地の中で問題はないのか
②開発費が異常に高額
③開発担当民間会社3社の内2社が撤退
④岡山大学が日本最速のスパコンを僅か3800万円で開発し、米国電気
電子学会からスパコンのノーベル賞とも言うべき『ゴードン・ベル賞』を受
賞し、低額でのスパコン開発の可能性を実証した。
⑤世界最速の必要があるのか
日本が世界最速のスパコンを開発しても1年後には米国がその数倍
の能力のスパコンが開発されている。
本当にこんなに金をかけて開発する必要があるのだろうか。
日本には『学者〇〇』という言葉があるが、学者さんの言うことを信じて一
度縮減した予算を復活する必要があるのだろうか。
最近空港問題、JAL問題がニュースになることが多い。
この際阪神三空港のうち神戸空港を見ていこう。


神戸空港(海面を埋め立てて造成された空港島)

立派な神戸空港ターミナルビル
立派な空港ビルの中はひっそりしている。
閑散としている屋上展望デッキ
管制塔

エプロンには搭乗を待つSKY機が一機のみ
神戸空港は関西3空港の空域の輻輳、管制の関係で1日あたりの
便数が最大60便に制限されている。(現在は48便が就航)
空港運用時間は伊丹より1時間長く07時~22時までの15時間
阪神3空港問題がクローズアップされているが、関空建設の前提として伊丹空港
の廃港のはずがいつの間にかうやむやになって伊丹が現存している。
関空建設地選定時に神戸沖の案は神戸市が猛烈に反対して結局泉州沖に決定
その後神戸市が市民の猛反対を押し切って神戸空港を建設。
結局伊丹派と神戸市のわがままで3空港が出来てしまったのではないだろうか。
神戸空港建設はその建設費公称3500億円、実際はポートライナー延長工事費を
含めて5000億円とも8000億円ともいわれている。
市民の猛反対を押し切っての建設でもあり借入金の返済は、税金からの支出では
なく、全額を空港島の残地売却でまかなうはずが売却できたのは予定地の6%。
今年度返済予定の400億円の手当がつかず来年に返済繰り延べとか。
神戸市は全国自治体の中で財政状況ワーストワン。
夕張市に続いて次に財政再建団体に転落するのは神戸市とのもっぱらの評判。
関空建設地選定時に神戸沖を受け入れていれば、今頃は関空一箇所の空港で、
神戸市の借入金も増えず、財政再建団体転落も防げ 、日本の中で関西地区の
ハブ空港としての地位を満喫できたのに。
乗降客数 年間発着便数 平均搭乗率
関西空港 1600万人 12万回 約65%
神戸空港 250万人 2万回 約67%
伊丹空港 1900万人 11万回 約65%
羽田空港 6700万人 30万回
成田空港 3500万人 21万回
阪神3空港合わせて客数、便数ともほぼ成田空港と同じくらいになる。

神戸空港ターミナルビル屋上からの神戸市内パノラマ
輪島 2009 かに祭 [グルメ]
ズワイがに (石川県では加能がに) 香箱がにが解禁になり、方々でかに祭りが開催されている。
孫を連れて行くつもりで、輪島かに祭りの券を購入してあったが、新型インフルエンザが流行っていることでもあり、小さい子供を人ごみに連れ出すのはまずいということで夫婦で行くことにした。
以前は輪島といえば石川の端っこのイメージがあり相当時間がかかると思っていたが、道路がよくなり松任からわずか一時間半で着いてしまう。
途中日本海はそうとうの荒れ模様。
千里浜海岸には白波が次々と押し寄せている。
会場のマリンタウン特設会場には9時30分くらいに着いたが駐車場は既に9割方埋まっている。
主催者発表では2万人の人出とか。

輪島漁港は魚介類、かにの水揚げ高は石川県一、日本海側でも
有数の漁港として栄えています。

今回購入したかにの抽選券付引換券
かに引換所 かに券一枚で加能かに1杯、香箱3杯と引き換え。
加能かには見たところ一杯2500円程度かな。
引き換えるかには既に袋詰めされている。
水中で泳いでいる加能がに 一杯4000円
生きたままでの宅配用らしい
一杯7000円也
茹でられるのを待つ加能がにと香箱がに
加能がには一杯4000円 香箱かには三杯1000円だそうです。
大型の特製釜で茹で上げられる。
籠に入れられたかにを籠ごとフォークリフトで吊り上げ釜の中へ。
大型の籠3個分を一度にゆでることが出来る。
茹で上がったかに
すぐに水をかけて冷やされ、販売にまわされる。
以前はリヤカーで運んでいたそうですが。
販売されている香箱がに
加能がに 一杯4000円也
水色 『タグ』 は石川県産加能がにの印
『ズワイがに』 のことを石川県産は加能がにと称し水色タグを付けて
他県水揚げ物と区別している。
福井県産を越前がにと称し黄色タグ
島根、鳥取、兵庫 、京都で水揚げされたズワイがにを松葉がにと称
しているが、そのうち島根県隠岐地方で獲れたものは隠岐松葉がに
と称して青色タグが漬けられている。
鳥取地方でとれたものを鳥取松葉がにとして白地に赤色タグ
兵庫県津居山で取れたかには津居山がにとして青色タグ
京都北部丹後半島間人 (たいざ)で取れたかにを間人がにとして
緑タグをつけている。
いずれも同じズワイだが産地により名前が違うし、タグの色により
他産地との差別化を図っている。
北海道産、ロシア産は普通にズワイがにの名で販売されているが味
には大きな差はないと思う。
大勢の人が押し寄せ、かに、魚介類を焼いて食べている。
焼くものを買えば自由に炭火コンロを使用できる。
かに、海老、ホタテ、牡蠣貝、サザエ、ハマグリ、他に場内で販売
されている干物等を焼いている人もいた。
うまそう!!!
場内では焼いた魚介類等も販売されている。
かに飯350円 香箱の半身入りかに汁350円
香箱一杯入りかに汁500円
大なべで造り、小分けされた鍋のかに汁も終わり近くになると底が
見えるくらいになっている。
抽選は午前、午後の二回実施された。
賞品は輪島の旅館ペア宿泊券、輪島産コシヒカリ、一杯30000円
程度のズワイ二杯入りなど色々あったが残念。
09 晩秋の五箇山 を行く [日帰り旅行]
赤かぶの収穫が始まったとの報道があり、赤かぶ漬けのため蕪の購入を思い立ち南砺市五箇山を訪れた。
出発前の予定では五箇山の後、白山スーパー林道経由で途中紅葉を見ながら白山市瀬戸野へ出て、福井県大野市の苔のきれいな『平泉寺神社』へ行く予定だった。
ところが先日の降雪のためスーパー林道凍結により、全日通行止め。
やむを得ず赤かぶ購入後五箇山周辺を散策することに変更。
ほぼ一年ぶりの五箇山訪問だったが、平日の割りに観光客が多い。
南砺市小原辺りの国道156線脇でテントを張った露店で自家製の赤か
ぶを販売しているおばあちゃん。
昨年もここで購入、今回もここでとれたて赤かぶを購入。
5~6束分、約40数玉を買った。
赤かぶ漬けとして売っているものはあまり好きではなく、なくなった 、妻
の母親の漬けた赤かぶ漬けの味が好きで 、最近では赤かぶを買って
妻が漬けることにしている。
なんとなくおばあちゃんの味に似てきたようである。
自家製の 『赤かぶ漬け』
赤かぶは表面が赤いだけで切ると中は白い。
漬けた当初は白いが、時間の経過とともに 『酢』 の力のせいか、段々
と全体が鮮やかな赤色に変ってくる。
人工の色素などは一切使用していないのに不思議な光景である。
もうしばらくすると食べごろになりそう。
南砺市菅沼あたりの紅葉
紅葉盛りの時期からは少し遅いようですがそこそこきれいです。
昨年は菅沼集落の 『一斉放水訓練』 の様子を撮影したが、実は訓練
実施日は正式にはネット等での公表はしないとか。
日を公表すると見物客が多く押し寄せてきて、収拾がつかなくなるため
というの理由らしいが、電話での問い合わせには答えてくれる。
今回は、情報では日曜日を避けて、11月14日の土曜日の実施らしい。
その頃は天候回りがあまりよくなくて 、放水にかかる虹も撮影できそう
にないため今回は断念することになりそう。
晩秋の菅沼集落
日本に合掌集落は多くありますが、世界遺産に登録されているのは
富山県五箇山を含めた白川郷の一箇所のみです。
保存のために集落住民は普段から涙ぐましい努力をされています。
一斉放水訓練もその一環で、合掌家屋を火災から守るためです。
萱葺き屋根も数十年に一度葺き替える必要がありますが、集落家庭
すべてが 『結』 という制度に入っていて、吹き替えも結を中心に実施
される一大事業で、その費用も1千万円程度かかるといわれている。
菅沼集落内にある 『硝煙の館』
五箇山では江戸時代約 300年間鉄砲等に使用する火薬の原料で
ある 『硝煙』 製造が一大産業でした。
その製造工程等を展示してある館です。
ここは館脇にある防火水槽水面にに写る 『逆さ合掌造り』 として観
光ポスター等の素材として有名な場所です。
殆どが住居として使用されている合掌造りで、どの家屋も生活感の
ある家です。
五箇山、白川郷地区は東海北陸道が全線開通後飛躍的に観光客
が増加していて、平日とはいえどこへ行っても人だらけです。
東海北陸道 袴腰トンネル
福光方面から走行してきて、袴腰トンネルを抜けるとすぐに五箇山
ICである。
東海北陸道が全線開通してからは金沢方面からご五箇山へは相
当時間短縮なり、自宅からは約50分弱で到着できるようになった。
荻町城展望台(民営地で一応無料)からの岐阜県白川郷 『荻町合掌
集落』展望。
約100棟の合掌集落を望むことが出来る。
観光ポスター等であまりにも有名な場所です。
白山スーパー林道取り付け部分からの荻町合掌集落
帰路は一般道(国道304号線 フラワーライン)を福光方面に下りると
途中に 『大鋸屋展望所』 があり砺波平野の 『散居村』 を望むことが
出来る。
福光は柿の町
いたるところに柿が植えられている。
ここで取れる柿は渋柿でその90%が三社柿、残りが蜂屋柿。
いずれも名産の 『富山あんぽ柿』 の名で干し柿として出荷される。
半乾きタイプのしっとりとした干し柿で大変美味しい。
『三社柿』 の名の由来は 藩政期に現在の金沢市三社町の商人が
福光などに柿の買い付けに来ていたことに由来するそうだ。
また、三社柿は日本で一番大きい柿とも言われている。
この地区の干し柿は殆どが稲架(はざ)干しされるが通常の干し柿
より短時間乾燥のため、半乾きの水分の多い柔らかい『あんぽ柿』
に仕上がる。
稲架で乾燥されている三社柿 (参考写真)
干し柿とは水分量が25~30%のものをいい、枯露柿ともいう。
代表的なものには石川県志賀町の 『ころ柿』 、長野県伊那谷地方
の 『市田柿』 等がある。
あんぽ柿とは水分量が50%のものをいい干し柿に比し柔らかい。
産地としては、富山県福光地方、福島県、甲州、紀州等がある。
加賀野地区文化祭とふれあい餅つき [行事]
毎年恒例の 『加賀野地区文化祭』 が開催された。
例年では11月第1土、日曜日に開催されていたが今年はなぜか11月7、8日に変更。
私は写真が趣味で撮影したものはブログに載せるかメーカーのWEBサイトで公開するのみで、文化祭などには一切出展していなかったが数年前加賀野地区文化祭を見に行った際に、写真の出展が少く感じ翌年から数点を出展することにした。
加賀野地区文化祭は地区の各クラブの成果発表、笠間中学校の生徒の作品発表、一般作品等が
展示される。
会場では加賀野社会福祉協議会によるふれあい餅つき、めった汁が振舞われ、あんこ、黄な粉をまぶした餅は販売もされるが評判がよく早い時間に売切れてしまう。
各家庭に配布されたパンフレットに添付されている無料券(作品出展者にも配布)で喫茶コーナーでの菓子付き飲み物等も飲むことが出来る。
また一角ではポプリの小物つくりも行われていた。
公民館活動は結構活発で多くの行事(事業)が実施されているがいかんせん参加者が少ないように感じるのは私だけだろうか。
過去には公民館活動に対して大臣表彰を受賞したり、今年は白山市緑と花のまちなみ賞を、公民館が事業所の部で優秀賞を、ある町会が団体として奨励賞を受賞するなど、地域をあげて
『植花夢かがの』 として花いっぱい運動のような事業を年間を通して継続して行われている。
(うえるかむ)
一般作品は世の中にはこんな趣味もあるのか というくらい種々の
ものが出展されている。
筆者出展の写真
左から栃木旅行の際の農村風景
2枚目は南砺市菅沼の一斉放水にかかる虹
3枚目は手取渓谷ダム放水にかかる虹
4枚目は兼六園ひょう池のライトアップ
これも筆者の作品です
上段は橋上からの白馬連山パノラマ
下段は栂池高原水芭蕉のパノラマ
いずれも使用カメラは 『オリンパスカメディア c-700ウルトラズーム』 です。
カメラのパノラマモードで撮影、ID付メディアに記録したものを、専
用ソフト(olympus camedia master)でパノラマ写真に合成
するものです。
写真のつなぎ目も殆ど見分けがつかないくらいの写真になります。
印刷は長尺パノラマ写真を印刷できる機種は現在市販されてお
らず、従来はエプソンPM820Cという機種を使用していましたが
長期間の使用により、プリンターヘッドの磨耗のため、使用不能
となりましたが新規機種が販売されていないため、中古品市場で
調べた結果、岡山県に印刷できる機種PM830Cが一台あること
が分かり購入、現在それを使用しています。
ところが今度はパノラマ写真印刷用ロール紙の販売が中止とな
ってしまい頭の痛いところですが、何とか対応策が見つかりそう
で一安心。
パノラマ写真印刷が継続できそうです。
精密機械とはいえ、カメラも長期間使用すれば修理不能になる
位のダメージを食らうこともあります。
先日の『小松航空祭『撮影の際、サブカメラとして使用していた
C-700がダメージを喰らい使用不能に陥った。
このカメラはコンデジにもかかわらず、光学10倍ズーム、パノラマ
機能搭載の優れもの。
どうしてもほしい機種のため、これも新品は既に製作中止のた
めオークション市場で探した処、茨城県から一台出品されており何
とか購入することが出来た。 これで一安心
。
今回は普段使用している 『キャノン40D』 を撮像素子(ローパス
フィルター)清掃のためメーカーサイトに修理に出しているのですべて
オリンパス カメディア C-700 ウルトラズーム機での撮影です。
他の一般作品 写真の部
『古布』を使用した作り物
七尾で評判の 『花嫁のれん』 も出展されていた
ボランティア有志による 『喫茶コーナー』
『ポプリ』 小物つくりコーナー
社会福祉協議会による 『ふれあい餅つき』 & 『めった汁』ふるまい
加賀野地区は男性より女性のほうが・・・・・。
ボランティアグループによる 『おはぎ』 つくり
ワンパック¥150円也
めった汁の振る舞い
せっかくの文化祭
普段の公民館、体協、地区の多くの行事にももっとたくさんの地区
住民に参加してほしいものです。
この地区も高齢化の波が押し寄せており、高齢者人口が増えてい
ます。
そん高齢者の方も、若い世代の方も参加して、この加賀野地区を
多いに盛り上げていってほしいものです。
小松基地 『2009小松航空祭』 機動飛行とブルーインパルス [航空祭]
今年も 『2009小松航空祭』 が開催された。
例年では9月開催だったが、今回は11月1日(日曜日)の開催に変更。
昭和20年に米軍補助レーダー基地として接収されていたが、昭和33年に接収解除されその後昭和36年に自衛隊小松基地として開設された日本海側唯一の戦闘機が駐留する基地であり、わが国の日本海側の空の守りを担う重要な基地として位置付けされている。
小松基地と日本海を隔てた諸外国との位置は近く航空機で僅か一時間の距離にありその役割は大きい。
対領空侵犯に対する任務遂行のため中部航空方面隊 第6航空団 第303飛行隊、第306飛行隊がその任務を担っている。
また、合わせて小松救難隊が編成されており、海難救助、山岳救助、災害派遣等を担当している。
昨今自衛隊に対する風当りが順風ではない面もあるが、わが国を守る任務は自衛隊がになうことに何の疑問もないと思うが。
私は特に軍国主義者でもないし、自衛隊を絶賛するつもりはないが、戦闘機の機動飛行とブルーインパルスの展示飛行が大好きで毎年小松航空祭に通っている。
今年は天候回りがあまりよくなくて、当日は雨天も予想されるため昨年と同様にまずは総合予行と、ブルーインパルスの前日予行に行くことにする。
総合予行は10月29日(木曜日)に実施され、ほぼ本番当日のスケジュールに沿って行われる。
晴天の場合午前中は逆光になるが今年も小松空港ターミナル屋上から撮影することにする。
総合予行当日はまずまずの天気、自宅出発が少々遅れたため途中の高速道路上でオープニング飛行の戦闘機と遭遇。
小松空港旅客ターミナル屋上に上がると既に相当の人が観戦、撮影中。
程なくオープニング飛行に参加していた戦闘機が続々と帰投してくる。
二機のうち上の機体は2009小松航空祭記念塗装のF15Jイーグル
記念塗装機
一般からの公募作品
垂直尾翼には小松安宅の関にちなんだ弁慶が描かれている。
F15は着陸スピードが速いため、キャノピー後部のスピードブレーキ板
を立ててスピードを落とす。
小さいように見えるが畳2畳分くらいの大きさがある。
F15 愛称イーグルはアメリカマクダネル・ダグラス社(現ボーイング社)製
で、1233機製造され、日本では約200基が運用されている主力戦闘機
だが、相当古いため新規機種の選定が急がれている。
アメリカ製F22(ステルス機)は技術情報の漏洩を恐れて輸出しないこと
になりF35戦闘機を売り込みたいらしいが、その性能情報料としてなんと
10億円要求されているとか。
米国に日本の足元を見られているようだ。
いっそのこと、米国とはきっぱり手を切って仏製にでも機種変更したら。
いずれにしてもアメリカの日本に対する要求は法外なものが多いのでは
ないだろうか。
これも自公政権のアメリカべったりのつけのような気がするのは私だけ
だろうか。
パラシュート降下訓練
他基地では固定翼機を使用して大勢が降下する展示が行われて
いるが、小松ではヘリから二人ずつ二回の降下訓練が行われる。
U-125A救難捜索機で遭難者を捜索、発見後UH-60J救難ヘリから
救難隊員が降下、遭難者を吊り上げる訓練。
昨年小松救難隊をモデルに 『空へ 救いの翼』 劇場版が上映された。
救難隊は海上保安庁の装備では困難な場合にも果敢に救難に当たる
など、普段から厳しい訓練を続け、災害時の救助等に当たる。
いよいよ待望の機動飛行の予行が始まる。
アフターバーナーを点火、超高速飛行をするF15Jイーグル戦闘機
高速飛行の割りに『ベイパートレイル』は少ない。
垂直に上昇する戦闘機、上空2000メートルまで急上昇
するという
戦闘機が超高速で急旋回、急上昇を繰り返す姿が美しい。
パイトットは重力の何倍ものGがかかるため耐Gスーツを着用
して操縦している。
編隊飛行する戦闘機
これは鳥の編隊飛行です。
たまたま戦闘機の編隊飛行のすぐ近くを飛んでいました。
ここからは本番当日グランドゴルフの試合があり (ちなみに私は準
優勝、妻は女性5位で賞品はたくさんの果物でした)予定より早く終
わったため、小松空港に急いだところ機動飛行の終わりくらいに間
に合った時のものです。
後の3枚はヴェイパートレイルが現れています。
ヴェイパートレイルとは湿度の高い日の高速で飛行する 、戦闘機等
が翼で空気が圧縮されることによって、空気中の水分が水蒸気にな
り、翼の先端から白い筋状のものを引く現象です。
本番当日の機動飛行が11時50分頃終了。
午後1時10分からのブルーインパルス展示飛行開始までは昼休み。
ところが昼休みの間に天候が急変。
ブルー5番機が天候偵察のため離陸、調査の結果天候回復の見込
みが望めず、中止となってしまった。
ブルーインパルス展示飛行の中止は13年ぶりだそうです。






